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書き込み後

 投稿者:たき  投稿日:2017年10月18日(水)21時09分16秒
  長文を書き込みました。書き込んだ後に少しの後悔があります。
独りよがりで自己満足的な文章を受け入れてくれるだろうか。と

今回もいろんな巡りがありましたがこの文章を書くのに神経をすり減
らしてしまいました。
あとは私の楽しんだ数々を心のなかで巡らして“ふふふっ”と想
いながらビールを楽しんでいます。
 
 

読んで下さいネ

 投稿者:たき  投稿日:2017年10月18日(水)20時50分1秒
編集済
  上賀茂神社を訪ねて

「桓武天皇は奈良の仏教と縁を切るため遷都した」とありました。

京都と云えばまずお寺さんですね、多くの寺院があります。私も京都と云えばお寺詣り
が中心でした。でもお寺さんより先に「お神さん」を祀っていたのが京都だったと改め
て知り今回の参拝になりました。

それまであまり気にかけていなかった京都・上賀茂神社と下賀茂神社へ参拝してきました。
なぜ上賀茂神社・下鴨神社を訪れたくなったかと云うと、ある本に桓武天皇は平城京(奈良)
ではあまりにも仏教が皇室や政治に入り込んでいて天皇を中心とした政治がおこなわれる
のが難しくなった。
仏教を切り離すために長岡京から平安京(京都)へ遷都(せんと)を行い天皇を中心とし
た都を造りたいと平安京を造営したのでした。仏教を廃絶して本来の農耕生活を送る民の
神々を祀る神社を建立しようとしたのでした。

遷都(せんと)にあたり京都盆地(山城)を本拠とする泰氏や鴨氏の豪族の力をかりている、
この地区は豪族の鴨氏が支配していた土地。平安京の北東の鬼門に賀茂神社(上賀茂神社
・下鴨神社)を建てて北の守りとしたのです。これらの下調べをしての出発でした。

京都駅から地下鉄で北山駅下車。ここで予約してあったレンタサイクルに乗り上賀茂神社へ。
赤い一ノ鳥居の前でガードマンに駐輪場を聞くと「向こうに入るところがあります、並ん
でいる自転車の一番奥に停めて下さい。そこからも神社に進めます」といわれました。

木々の覆い茂る林の中を進むと小川にさしかかったのです、もしかしてこれが問題の
「楢(なら)の小川」なのでしょうか、本殿の東西に「御物忌川」と「御手洗川」が
橋殿で合流して「楢の小川(ならのおがわ)」」となり、平安貴族はこの小川に入り、
半年のあいだに自分が犯した罪によって生じた穢れを清める禊ぎを行った。と資料に
はある。
幅2メートルにもみたない1本の川が境内でいくつもの名前を変えるめずらしい川でも
あるんです。源流は滋賀県にもまたがる比良山系なので水量は豊富で流れも速く澄み
切ったうつくしい川です。

川に沿って行き着いたのは「渉渓園」と云われる庭です。川から水を引き大きく蛇行
させた幅1メートルにもみたない細い川が流れています。
ここで平安貴族たちは「曲水の宴」と云って水面に杯をうかべて流れつくまでに和歌
を1首詠む、という風流な遊びをしていたのです。いまでもその名残りがあり苔むした
静寂な庭は空気までもが木々の緑と苔との色に染まったように感じられます。
(上賀茂神社の曲水の宴はネット動画でどうぞ)

二ノ鳥居をくぐると正面に細殿があります、その前に1メートル以上もある三角錐の砂
山がうつくしく二つ盛られていました、これは「立砂」とよばれ御神体である神山を
模しているらしい。
御神体の賀茂別雷神が降臨したといわれる神山(こうやま)を形ちどり神を招く憑代
(よりしろ)としたらしい。きれいに円錐形が二つ並んで作られているのは神秘的に
も感じる、上賀茂神社の象徴でしょうか。

上賀茂神社の北方2.5キロの神山を御神体としている、神は水の神であり水の神は雷
を思いのままに操る雷神とされ、御子神である別雷神をまつる神社で、正式名称は賀
茂別雷神社(かものわけいかずちじんじゃ)。

本殿は21年周期で行われる遷宮の工事中でした。遷宮といっても伊勢神宮のように建
物を建て替えるのではなく時代とともに簡素化されて桧皮葺の屋根を葺き変えるだけ
で遷宮としているそうです。いずれにしても工事中なのですべてを拝観できませんで
した。

特別拝観というのがあって500円支払って通された部屋で待っていると装束をつけた
神官が御祓いをするのです、もちろん私たち参拝者も簡単な首にかけるだけの装飾を
かけてお祓いを受け内部を拝観したのでした。
廊下をまがり奥へと進むと同じような建物が二つ並んで建っています。ここが本殿な
のか神様がお住まいとか。お話によりますと遷宮の時に神様がお移りになります、と
お移りになる儀式を話してくれましたが内容は忘れてしまっています。

神官のお話によりますと、“昔、山城の賀茂の地に土地の神である賀茂建角身命がい
た。かれの娘を玉依姫といったが、姫が瀬見の小川で水遊びをしているときに、一本
の赤く塗った矢が流れてきた。
この矢を持ち帰り、床のあたりのさしておいたところ、姫は妊娠して男神を産んだ。
その子神が育っていったのち、建角身命が子神の父を知ろうとして、大きな屋敷を建
てて神々を集め、七日七夜の宴をひらいた。
そして、建角身命が宮の神々の前で子神に盃をわたして「お前の父と思う人にこの酒
を飲ませなさい」といったところ、子神は天に向かって盃をささげてまつり、屋根を
破って天に昇ったという。
その子神が神山に降臨し別雷神として上賀茂神社のご神体としている。神山山頂には
降臨石と呼ばれる磐座(いわくら)があるそうな。

神社の鳥居前に店があり「禊ぎそば(みそぎそば)」なるなんでもないような蕎麦で
すが名前だけで高い料金を取られた昼食をいただきました。(笑)

神社を流れている時は御手洗川でしたが上賀茂神社をでると明神川と名を変えて、川
沿いに社家(しゃけ)と呼ばれる家が建ち並んでいます。

社家とは室町の時代に東の門前に神官と農民の集落をつくった、神官の屋敷町を「社
家町」というとあります。
明神川に沿って連なり、それぞれに屋敷は石橋をわたって門に入るんです、屋敷の数
だけ石橋が連なっています、現は20軒ありますが江戸時代は300軒もあったとも。
明神川の流れと石橋と屋敷の門構えが続く風景はうつくしいです。数々の歴史を積み重
ねた上賀茂神社の門前町の風情を醸し出しています。

日本には数々の神社がありますが神社にお勤めの神官の屋敷が連なって美観地区のよう
に今も保存されているのは貴重な財産だと感じました・
明治のころまで神主、禰宜、祝(はふり)、権禰宜、権祝など九職が住んでいたとあり
ます。

そんな社家町の中に「西村家」があり拝観できるんです。門に入と呼び鈴を鳴らすよう
張り紙がありました。押して玄関まで行くと係りの人がでてきたので拝観料をはらい教
えられたように進むと部屋に、開け放されている客間のような部屋に濡れ縁がありその
向こうは美しい庭になっていました。
よく見ると細い川が蛇行して流れています、ご神体とされている神山の降臨石を模した
石組みもあります、とテープに録音された音声が教えてくれます。

ここでも「曲水の宴」が催されていたことを聞きました、個人の家で「曲水の宴」が催
されるのは聞いたことなかったので驚きました。
この川の水は前を流れている明神川から引き込んでいるそうです。個人の家に水を引き
込んでいるのは珍しいのではないだろうか、それも建ち並ぶ家々もが。社家町ならでは
の許されることなんだろうか。

うつくしい庭園の隅に石組の浅い井戸があります、身を清める禊ぎの井戸だそうです。
ここで神官が斎戒沐浴してから神社へお勤めに行く準備をしたそうです。この井戸の水
源はわき水ですが現在は水が枯れ空井戸になっていました。時代が移り沐浴しなくなっ
たので枯れてしまったのかなと想像します。

室町時代そのままの建家なんだろうか、明治時代に建て替えられたとあるが形式は同じ
だろうか、庭園は室町時代の旧状ままらしい。
庭を眺められる茶室もあり簡素ですが風格のある社家・西村家を後に下鴨神社へと・・・。

上賀茂神社は聖武天皇のころを想像するには今となっては環境が違いすぎますが所々に
昔を偲ばせてくれる建築物や庭園、それにまつわる故事や神官のお話に秋の一日を楽し
んだのでした。
 

充実の日々ですね

 投稿者:かぎろひ  投稿日:2017年10月 8日(日)13時40分48秒
  こんにちは。皆様、三連休、いかがお過ごしでしょうか。

たき様
いつもコメントありがとうございます。
一時間で日本の芸術を見せる催しとは、スゴイ! なるほど、インバウンド向けなんですね。やりますね!
京都や大阪に比べると、奈良は外国人が少ないと言われますが、昨日、奈良のまちなかを歩いてビックリしました。外国人だらけ~
「国宝展」早くも楽しまれましたか。行きたいと思っているのですが…

一緒に旅行されていたお孫さん、大きくなられたでしょうね。もう成人されていたりして。
 

京都

 投稿者:たき  投稿日:2017年10月 7日(土)09時36分7秒
  京都・上賀茂神社、下鴨神社、相国寺を拝観。夕方には祇園の弥栄会館にて茶道、箏、華道、雅楽、狂言、京舞、文楽を一時間で見せてくれる催しに行ってきました。
ほとんどのお客さんはアメリカ系とアジア系のお客さんなのか日本語が聴こえない会場でした。
そして同じ祇園にあるオールディーズの店京都ケントスにて踊りました。(詳しくはネットで)

翌日は彦根城へ、10年ほど前に仕事の関係で1週間ほど彦根で泊っていました、それも3年も。
数年前には孫とも泊りました。でも彦根城の拝観は出来なかったのでどうしても訪れたかったのでした。
午後は京都国立博物館の「国宝展」を楽しみました。
忙しく有意義な旅行でした。
 

読了した気分

 投稿者:かぎろひ  投稿日:2017年 9月16日(土)13時28分23秒
  こんにちは。大型台風が近づいていますが、影響は出ていませんでしょうか。
こちら、奈良は朝から雨が降り続いています。

たき様
『光る壁画』のご紹介ありがとうございます。
遅くなってすみません。

たき様にこれだけの文章を書かせたのですもの、読みごたえがあったことがわかります。
医学の進歩とひと口に言っても、そのかげに、多くの人の努力と研究と苦労があるのですね。そうとはわかっていても、医学の先生のお名前も、技術開発したのがオリンパスだったことも知りませんでした。

読んでみたいと思いつつ、たき様が丁寧に書いてくださったので、読み終えた気分です。ありがとうございました。

 

長文ですが読んで下さい

 投稿者:たき  投稿日:2017年 9月13日(水)21時09分19秒
編集済
  光る壁画

 なにげなく『光る壁画』というタイトルに魅かれて手に取った本でした。
「胃の中を見たい、撮影したい!」とあり「現代医学に不可欠の検診具<胃カメラ>
の開発に熱い情熱を傾けた男たちのドラマ」と帯には書かれていました。興味を惹く
言葉に「読みたい」と思ったのでした。

戦後間もないころではあったが「胃の内部を覗いて写真にとりたい」という東京大学
医学部付属病院分院の副手である宇治達郎という若い外科医からの研究の依頼であり
ました。(昭和二十四年ころ)依頼が持ち込まれたのがオリンパス光学工業株式会社。
オリンパス光学の杉浦睦夫、深海政冶などの技術者たち。その苦悩を吉村昭という著
者が小説として書いた本です。

その話が持ち込まれたのはオリンパス光学工業がカメラの専門であったからでしょうか。
引き受けた深海政冶氏については小説の物語上架空の部分の物語も必要なので小説では
「菊男」となっていました。
全く知識のない菊男たちはまず予備知識として調べたのがカメラを付けた管の太さと長
さでした。

宇冶先生に聞きますと「人間の咽喉の広さは平均十四ミリなので胃までさしこむ管の太
さはそれ以下でなければならない。」との答えでした。口から咽喉そして食道から胃ま
では曲がっているので金属管では無理、管をゴムにしてもゴムの厚さがあるので管の内
部は七・八ミリの広さしかない、そこに入れるカメラが果たしてできるのか。できたと
してフィルムは装填できるのか、コマ送りははたしてできるのか。
「かなりの覚悟が必要ですね」と腕を組んでいたとも書いてありました。

ある時杉浦が「ちょっと待ってくれよ」と考え「宇冶先生、胃の内部はまっ暗ですね」
宇冶先生は「むろんです」「内部は暗室なんだから本格的カメラでなくても撮影はでき
る」と話し合ったのです。

調べていると「ピンホールカメラ」へ行きつきました。ピンホールカメラとは針穴写真
機などとも言われている原始的な写真機。雨戸の節穴から入った光で、背後の障子など
へ戸外の像が倒立して写る原理。これなら「光とレンズとフィルムさえあれば撮影でき
る」と確信したのでした。

何度も話し合い机上では可能となったのでまずはゴム管作りとなりゴム管業者へ「電線
の束を入れる管なら工夫すれば使えそう」となりました。

レンズひとつにしても七ミリ以下のレンズを作り研磨しなければ、光をどう送るか。専
門の技術者を探しても難し過ぎてすぐにOKはしてくれないもどかしさもある。読者の
私はハラハラして読みました。
ライフ電球という家内工業のような会社に決めてお願いにいったのでした。「内経八ミ
リのゴム管の先端にとりつける電球なので直径五ミリ以下でなければならない」しぶる
業者に「強い光を放つ電球がほしい」と難題をも追加で加えたうえでの以来となったの
です。

幅六ミリのフィルムを手作りもした、それを入れるマガジンもどうにか製作した。フィル
ムを巻き上げるのに三味線の弦を使用するまでにいろんな試行錯誤があったが弦なら外で
コマ送りができることが手探りの経験でわかったのでした。

電球にしても十~二十個納品してもらっても試験してみるとすぐ切れるのです、また改良
して納品しても「暗い、切れるのが早い」などなかなか完成しないので焦りもあります。
フィルムやフィルムの巻き上げの工夫など読みすすめて「なるほど頭の回転のいい人ばか
り集まっているんだ」と感心もさせられました。

それにしても内経八ミリの中にどうやってレンズ、フィルム、電球を納める事ができたのか、
不思議な話をワクワクしながら読み進めたのでした。

大型のフラスコに水を満たしての実験は成功してあとはいよいよ動物実験となりました。全
身麻酔の大型犬の胃を洗浄後に水を入れてカメラを装置したゴム管を入れて胃の撮影をした
のでした。でも何度試しても胃内部が白く濁ってダメでした。

宇冶先生はいとも簡単に「胃にガラス窓を付けよう、そこから覗けば原因が判るはず」と。
一般の人は胃にガラス窓を付けるなんての発想は生まれてこないが医者は簡単そうに言います。
「後で縫えばいいんです」となんでもないように云うが私には理解できません。

そしてガラス窓がつけられて覗いた結果、いくら洗浄しても胃液が滲み出てくるのが判りました。
こんどは水でなく空気で胃をふくらませて撮影するとこんどは写ったのでした。「胃壁ですよ。
胃壁がうつっているんです」と宇冶がうわずった声で言ったのです。

幾多の犬による動物実験から人体実験へと進んでいったのでした。人体実験とは生死をかけた
実験のように思われますが、胃潰瘍で手術の必要な患者さんのみに協力してもらったとありま
す。胃潰瘍などで手術して胃を切除した部分と胃内写真機でとった写真と比較してみる予定だ
と云う。

胃の痛みや胸やけ、空腹時には疼痛が激しい。食後に吐き気に襲われるので胃潰瘍の疑いがある。
バリウムをのんでレントゲン写真をとったが、それらしい病変部は発見できません。との検査
結果でした。そこで胃潰瘍まちがいない手術をしよう。その前に患者さんの胃を胃内写真機で
うつして切り取った胃の一部と見比べてみようとなりました。

私も経験ありますが胃カメラ飲むって苦しいです、「もう二度と胃カメラなんぞ飲むか」「なん
でこんな苦しいことまでして検査しなければならないんだ」と思いました。
この患者さんはそのうえ胃潰瘍の手術をしなければいけないので心身の苦しみは計り知れません。
この患者さんは同じ医学部の先生でしたので進んで実験台になったそうです。

「よくとれているな。全部組み合わせると胃壁の半分はうつっている」と。撮影に成功してみ
るとバリウムをのんでレントゲン透視しても写らない小さな血点が写っていました。それはフィ
ルムが小さいため拡大鏡で見ての確認でした。

世界で初めての胃内部の撮影に成功したのでした。喜びを分かち合う様子が伝わってきます、
ひとつ前進すると居酒屋で乾杯する場面が幾度かでてきます。きっと何度も乾杯をしたこと
でしょう。

切り取った胃の一部を三五ミリカメラで胃壁を撮影すると血のにじんだ点状のものが散って
いました。胃内写真機でとったのと比べて確信したのです。
その比較写真をもって研究成果を学会に発表する資料としました。そして昭和三十三年十月、
改良を繰り返し名前を胃カメラと替えて胃内検診の際の健康保険の適用が認められました。

もうそのころには東大医学部の宇冶先生も、オリンパスの杉浦、深海両氏も引き継ぎを済ま
せて他の部署へ移っていたのでした。

昭和三十八年三月にファイバースコープの開発によって飛躍的進歩をみせました。数万本と
いうガラス繊維をたばねて、外部から光を胃の中に送る、それによって浮かび上がった胃壁
をファイバースコープを通して外部におかれたカメラで撮影します。もうカメラを胃の中へ
挿入しなくてもよくなったのです。

調べてみますと昭和五十年頃には胃カメラの時代は終わり、ファイバースコープに代わった
とありました。そしてビデオスコープの開発によってテレビモニターを視ながら検査、組織
を採取して取りだす技術も開発されたことを知りました。

私の二度目の時は「胃の一部を取りだしてピロリ菌の検査をしましょう」と先生から説明が
ありまして検査の結果ピロリ菌がいました。薬での治療をした経験があります。

撮影してそのままモニター映像が送られて患者さんと共有でき、モニターを見ながらの説明
を受けるようになりました。そしてプリントしてもらい胃の様子を持ち帰ることもできるよ
うになりました。
調べますと「ハイビジョン内視鏡システムが進み動画や静止画の電子的拡大が可能となり時
間の短縮や疲労の軽減に大きな貢献をする。」とあります。

最近では身近な方々から「人間ドック」で内視鏡による胃の検査をした話をよく聞きます。
それだけ身近に感じられる検査方法が普及したのと苦痛が軽減されたからでしょう。

医療の情報・通信の技術の素晴らしさを最近特に感じています。内視鏡が開発されて胃の
内部だけに限らず身体各所に利用、その他あらゆる分野で利用されています。

これらの出発点は「胃の内部を覗いて写真にとりたい」と云う 東大医学部とオリンパス
光学のたゆまぬ努力があってこそ道が開けていったのだと『光る壁画』を読み確信しました。
 

よかったです

 投稿者:かぎろひ  投稿日:2017年 8月23日(水)22時59分14秒
  たき様

こんばんは。弟さん、ご無事で何よりでした。
ご夫婦で山登りを楽しんでいらっしゃるのでしたら、まあ安心ですよね。
最近、単独行の方が山で不明になるニュースをよく聞きます。
低山でも、1人はだめだよね、とひしひし感じておりますので、私も自制しております。

各地を巡って山登りされている弟さんご夫婦がうらやましい限りです。
 

いつまでも暑いです

 投稿者:たき  投稿日:2017年 8月22日(火)21時27分3秒
  かぎろひさま 弟のこと気にかけていただきありがとうございます。

聞きますと、北海道で沢登りをしていて滑って川に“ザブン”だ
そうです。携帯とカメラは水にぬれてダメになったとか。

なので携帯は不通、実家の固定電話は留守なので妹(徳島在住)ともども
心配していました。
後日、妹と連絡が通じ我が家にも連絡がありました。

弟夫婦は山登りが趣味なのでキャンプ使用に車を改造して各地を巡って
いるそうです。
心配していたのに本人は“そうなん”と開き直っています。
 

ご無沙汰しました

 投稿者:かぎろひ  投稿日:2017年 8月22日(火)09時04分33秒
  残暑お見舞い申し上げます。

たき様
コメントありがとうございます。
HPを見るのを忘れていました。放ったらかしにしていて申しわけございません。

弟さんのことが気になっていました。連絡とれましたか。

猛暑が続きますね。ご自愛くださいますように。

暑すぎて、取材活動もサボり気味でしたが、そろそろ腰をあげねば。
 

ご無沙汰しています

 投稿者:たき  投稿日:2017年 8月19日(土)09時03分46秒
    残暑お見舞い申し上げます

7月11日から約1ヵ月あまりご無沙汰しておりました。
楽しいこと、辛いこと。嬉しいこと、悲しいこと。いろんなことが
あった夏でした。
まだまだ暑い日がつづきますが頑張ります。
 

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