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テレビ会社の特権と衰退

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月18日(金)06時37分42秒
   何度か述べていることだが、テレビ番組の質の低下は甚だしい。原因は何だろうと何度も考える。競争のない公的企業の体質が、その進歩に疎くなるのとよく似ている。利益追求のため放送の質を落し、公共性を害する。細かいことを言えば切りが無いが、現象面で幾つか上げれば次の通りだ。
 ドラマ番組であれば、視聴者より広告社優先の手法だが、ドラマの最初の広告は少なくし、視聴者を縛った最後の方には、頻繁に広告を入れる。視聴者の気分は最悪になる。広告の音量を上げる。それらの手法は子供じみた姑息な手段で、視聴者を愚弄する。ドラマ制作に費用がかかるから、古い画像を何度も採用する。価値の低い安い韓国ドラマを頻繁に採用し、視聴者を誘導する意図が見える。タレントの優れた人材を開発する意思はなく、古い業者との癒着なのか、何十年も同じ人物が出てくる。そのようなタレントの芸は、古いままで新鮮さもなく、加えて老化した体を工作したのも見苦しい。
 番組の人気度などの調査は、良い物を見せないのだから、自分達だけの土俵の自作自演だ。放送時間帯の内容に、会社間の合意があるのか、似たような番組ばかりで独自性がない。NHKのように、多くのチャンネルを占拠しても、放送する番組に乏しいのか、個性も魅力もない番組で時間の価値を浪費している。最近は、良い番組の企画であれば、どんな時間帯であれ録画が出来る視聴者の水準を理解していない。広告の質にも問題がある。採用の内容については、放送会社の意思で決められるのだから、法に触れるかどうかではなく良心の問題だ。恐らく、番組企画責任者の品性や知能の問題かも知れない。他社との差別があって当然と思うが。広告の費用対その効果による利益は、どこかに消費者を欺いてはいないか。
 良い番組に高い広告料を支払う企業が無くなったのだろうか。広告の時間の使い方にも工夫が必要ではないか。広告も、消費者を満足させる品性はないのか。百個限りとか、三十分以内という限定販売など、消費者を愚弄するものだ。幼稚な目くらまし商法で、視聴者を姑息な手段で誘導するなど、本質的にはオレオレ詐欺と似ている。良い物を視聴者に知らせる原点を失っている。
 改めて個性や魅力のないテレビ会社の問題は、競争の自由化がないことにゆき付く。魅力のない悪い会社は、当然のこと淘汰されなければならない。だが放送界の実態は自由競争がないから、ラジオの時代から変わらず新鮮さはない。会社の買収が起こりそうだと、直ぐつぶされる。業者間の放送審議会のようなものも、経営理念に関するものはない。公共性をもつ電波の占有は、大衆への影響は大きい。従って、放送内容は自由勝手気ままではいけない。民主主義を大切にし、言論の自由を重んじるならば、権力を持つ者の資質は重要だ。
 せめてNHKは四つのチャンネルを有しているのだから、これらの独自性を強調して、優秀な企画者を採用して欲しい。あらゆる番組が古過ぎる。ドラマの役者の評価も、新人を意欲的に採用するのは評価出来るが、芸があまりにも拙いと、企画者の質が悪いのかと疑いを持つ。特に公正性は何より大事だ。放送は、世論への影響力が大きいから、さすがはNHKと言われるような水準を望む。政治の論評も長期的、重要度などのメリハリを見通せる優れた人物を用いて欲しい。週刊誌のような話題性ばかりで人気をとる番組にして欲しくない。何事も王道を目指して訓練することだと思う。NHKは国民が支える会社なのだから、興味本位ではなく、国民の国家観が重く深くなる能力を促進する報道でありたい。あくまでも民間報道機関との差を重視し、報道の特権の重さを再認識して欲しい。NHKは、報道や番組の質の低下が言われないように、優れた社員の教育が必要なのではないか。NHKからの優れた人材の流失は、会社経営の改革が必要だ。

 
 

日本国の最重要事は何か

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月13日(日)17時38分26秒
   日本国民の大多数は、世界経済の豊かな恩恵の中で、日本国家のあり方の根本問題を意識していない。世界が平和でさえあれば考えなくても済むという考えだ。本当に、世界は平和であり続けられるのか。そうではないというのが人類の歴史だ。七十年の米国支配が終わろうとする事態に鑑み、納得出来ない人のために、今の幾つかの現象を、次世代に向けて指摘してみる。
 先ず米国は、この一世紀の間、自国繁栄を目指し、自国エネルギーの枯渇を補うため、世界戦略、特に中東政策において占領政策を行った。しかし、今は自国のエネルギー開発により、その必要性は無くなり、世界から撤退してゆく。米国が世界に与えた自由民主主義の価値観は世界の常識ではなくなる。
 これに代わり、かつての米国のように、エネルギーを求めて中国が世界を占領する。異なるのは、中国は強力な独裁国家であり、この国家のシステムは益々独裁化を拡大し、世界戦略は一個人の思惑や感情で容易に支配される。中国の軍事力は膨大となる。かつての日本の軍事政策と同じだ。既に、輸出規制や領土拡大、確保政策が展開されている。
 ロシアの独裁国家は、エネルギー資源があるが故に、体制はこれからも続く。朝鮮は、中国化して専制色を強めてゆく。地続きの東南アジア諸国も、中国の経済に拘束される。EUは、中東の資源やロシアの資源問題で、国力は衰退してゆく。インドだけが、先行き不明な要因が多い。
 日本国家の問題は、この一世紀の間、殆ど変わりなく続いている。即ち、エネルギー源がなく自給が出来ない。食料の自給率も最悪に近い。要は問題だらけだ。これが世界との軋轢になり戦争を惹き起こす原因となることは今も昔と変わらない。自由民主主義を大事にしたいなら、今までは、放っておいても米国主体の世界だったから問題は生じなかったが、今後は独裁主義者のもとで全てを解決しなければならない憂鬱な事態となる。
 日本が、日本社会の価値観を守りたいと思うなら、今、全力をあげてやり通すことは、エネルギーの自給だ。原子力エネルギーは大事なその施策だった筈だ。ところが一度の失敗で、国家のトップすら右往左往し、考えも支離滅裂で、発狂したかと思えるような行動をとるトップが続出した。なさけない政治のあり方を露呈した。では今はどうか。自然エネルギーの開発は進めてみたが、その手法がお粗末で、国家事業の強力な権限すら自在に出来ず、反対行動で妨害される。最大多数の最大幸福も頓挫する。
 自給自足についても、農業の育成と言って保護ばかりだから、もうそれを改めることすら出来ない。農業の国際感覚が遅れてしまったから、世界市場への参入も厳しい。本来の誰でも参入出来て、農業の体力が増す自由な競争は夢のまた夢に近い。
 日本の経済は、世界を相手にして戦うならば、それは負けないだろう。日本の事業家は、世界情勢を観ているからだ。ただそれは、世界があくまでも平和で、先進国主体の自由民主主義が機能している基本があればこその話だ。だが、次世代はそうはならない。世界は、一見平和そうに見えても、その内容は独裁社会の環境の中での話に変わる。日本の社会価値とは異なる。だから、その中で生き抜く日本は、どうしてもエネルギーと食料の自給が必要なのだ。それが、出来てこそ、日本は世界へ向けて自由に自国の主張を、推し進めることが出来るのだ。
 この問題は、先行きの話ではない。これを克服するためには多大の人知を要する。政治家のための選挙の票にはならないが、本当の政治家はその緊急性を感じている筈だ。政治や官庁の運営の不具合を大騒ぎするような場合ではない。選挙目当ての事大主義は困ったものだ。
 また大衆も老人の世代は、民主主義を教え込まれたから、三つ子の魂百までと言われるように、大衆が意思表示すれば物事はその様に成就すると信じている。しかし、世界の民主主義は少なく、相対的に全体主義の風潮なのだ。我々老人達の行動の前提は成り立たず、神頼みのようなものだ。国民も政治家も、身近な国内問題しか見えない事大主義は、いずれ国家を滅ぼす。そうならない為には、考え方を国内中心から世界へと比重を移し変える必要がある。終戦の日、もう一度日本国をじっくりと見直してみたらどうか。

 

沖縄の心 

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月 9日(水)05時58分6秒
   私は沖縄人ではないから、沖縄の心が分かる訳ではない。過去に四度ほど訪れたことがあるだけで、行って数日滞在して歩き回った。周りの島では、石垣島、宮古島、久米島などの海岸を歩き、現地の方々とお話をした。特に宮古島の滞在では、ゆっくりと自然に触れることが出来た。そこには、本土から移住した方々も多い。
 沖縄の日本の国としての位置づけは複雑だ。もともと歴史的には王国があり、日本と中国のはざまで被害を受けた時代もある。近代では、日本国として国境の重要な位置にあるという特殊性のため、米軍の駐留など煩わしい問題がある。ただ、日本国としてみれば、最南端の温暖な位置にあり、沖縄の方々の心にそぐわないかも知れないが、大リゾート地としての価値は高い。観光開発がそれほど進んでいないのが不思議なほどだ。だが、気持ちとしては、穏やかな自然のままで豊かな環境であって欲しいと思う。
 そのような沖縄だから、中国も何とか支配を強めたいと画策する。中国は、歴史的には沖縄や朝鮮に朝貢貿易を望んでいた。それは、今でも基本は同じのようで、日本国家が邪魔なのかも知れない。親中国思想の画策も行われているようだ。日本の支配下になったばかりに、沖縄は大きな被害を受けたという話を聞く。
 中国の本音は、沖縄は地政学的には、中国の太平洋艦隊の玄関口に位置する重要な島だ。小さな尖閣諸島でも、大勢力で支配下に置こうとする試みは止まない。尖閣どころか、沖縄の全島がターゲットなのだ。ここに南シナ海と同じように、海軍の軍事基地を設けたいのだ。
 韓国の問題については、日本は、日本の民主主義と社会道徳の価値観を守るため韓国に干渉した。良かれと思ったが、これが間違いだったのかも知れない。韓国のことは、韓国人の思いのままでよかったのではなかったか。日本が干渉しなければ、中国やロシアは干渉するが、歴史は収まるところに収まる。日本は、それを見てしっかり対応すべきだった。
 だが沖縄は違っていて、日本と深く関わり、同一民族と同じに暮らしてきた。だから、沖縄の歴史を大事にしながら、沖縄の心に反しないことが大事だと思う。中国との歴史もあるが、今の中国共産主義は、支配層に豊かで、四川省の奥の地方に行ってみれば分るが、まるで日本の戦後のようにみじめな生活だ。独裁者の民族主義意識なのか、民族の価値観も、辺境では憐れにも蝕まれて、共産主義の価値観が強要されている。こんなことを、沖縄にさせてはならない。だから、古くから沖縄に住まわれる方々は、日本は民主主義なのだから、国家の政治に、これからも大きく関わって、沖縄の社会を良くする活動を行うことが大事だと思う。沖縄出身の政治家には、日本政府に対する反対意見ばかりではなく、日本の中枢で活躍されることを期待している。

 

軍国主義と平和 

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月 6日(日)06時02分33秒
   軍国主義という言葉は、一世紀前の世ではその意味もあった。だが今では、軍国主義は曖昧で特殊ではなく、相対する言葉としての平和主義という言葉も、その意味合いが単純ではない。今は、軍国主義と平和主義が同居する世界だ。
 軍国主義というのは、その理念の裏には領土の拡大思想があった。今でもそれは本質的には変わらないが、当時ほど露骨ではないから本性は見え辛い。古い時代の平和主義でさえ、一世紀前の日本の軍国主義は、西欧に対する国家群の独立という東洋平和主義だった。だから、軍国主義は、理念ではなく軍備次第では如何様にも変る。国家間の軍事バランスがなければ、平和主義の基礎は壊れる。これは昔も今も変わらない。
 政治家の中には、言葉は悪いが骨董品のように、事態を見る目が昔のままの人もいる。これでは、単純過ぎて物事の解決にはならない。昔に比べ現代は、特に地政学的に接近した相互関係になっている。相互の関係で注意しなければならないのは、専制主義国家には、軍国主義の人物が今でも生きている懸念だ。だからと言って、民主主義国家の日本で、戦時中の軍国主義者が亡霊のように生きていると思うのは異常だ。
 戦中、戦後を経験した私は、あの戦争が軍国主義者により惹き起こされたものとは思えない。それよりずっと後の世代の人が伝え聞いた概念は、極端化されてドラマ化されているように見える。戦争中の当時の国民の大多数は、当時の他国の国民と殆ど変わりのない社会理念や道徳を持っていた。民主主義の価値観もあった。だが戦争は起こった。それは、日本国の政治の選択だったかも知れないが、相手国も同様に選択したのだ。片方が、相手の無力を見越して一方的に戦争を仕掛けたものでは決してない。負けた側は一方的に罰せられるのも致し方ないが、それを卑下してはならない。罰せられた方々も、人道的罪以外は普通の国民だ。そのような方々は、他国では栄誉を受け、その後の国家を指導しているのだ。それを、後の政治家が、日本人を極悪人呼ばわりするのは許されるものではない。
 私自身は、父を戦争で亡くしたが、国家の政治や選択に怨みを持ったことはない。まして個人の政治家を恨むこともない。日本の国力のなさを嘆き、それは今の日本そのものなのだ。従って、人々に考えて欲しいのは、主義主張ばかりで国家を悪くしてしまうのではなく、日本が世界でも本質的に自立性のある国家とは何かを追及し邁進して欲しいのだ。
 

ネット社会の恐ろしさ

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月 3日(木)05時20分7秒
   私はもう十年以上もスマホを持っている。ノートパソコンの持ち歩きを回避出来たのが便利だった。しかし今は、スマホの機能が多様化し、多くの方々が愛用する時代となった。この影響は社会の大変革になるだろう。便利であり、行動の効率性は向上する。だが、人としての失うものも大きい。自分の命の次に大切なものはスマホだと言う若者も増えている。
 先に、短文の読み書きだけしか出来ない人々の問題は述べた。それよりもっと大事なことがある。それは、人間関係の精度が、著しく失われてしまうことだ。対面しないことによる人間関係の精度が失われると、何が問題なのか。例えば、一つの現象だが、米国の選挙を見ればどう変化したか考えてみればよい。ネットでも、正しい情報が正確に伝えられていればよいが、顔が見えない短文情報は誤解を起こし易い。今のトランプ大統領が、今までと異なるのは、これほどネットを駆使して勝ち得た選挙は初めてだった。
 国政は選挙により、一旦統治者を決めれば、その後数年以上の政権となる。ところが、選挙時の大衆の判断は、政治家の本性をネット上の動向によって行われる。ネット上の大衆を惑わす策謀は、極めて精巧で、人間の真理を弄ぶ。それも、短期間で多数の人々を篭絡出来る。選挙が、一種のゲーム化するのだ。米国の大統領選挙は、少なくとも米国内の問題であるにも拘わらず、他国からの干渉が行われた疑いが浮上している。これもネット社会の問題であり、何時何処からでも干渉出来る民主主義国家の弱点だ。専制主義や、実態が専制の国家のネット被害は軽微だが、これからの日本を始めEU諸国の民主主義は危機に瀕する。ネット依存の社会の崩壊が迫っている。
 次元は異なるが、オレオレ詐欺の拡大も国際化し、ネットを駆使して巨大化する。大衆は、それらのネットを大衆全員が常に所持し、ネットに支配された組織の一員の如く取り扱われる時代へ移行する。評論家たちもその中の一員に過ぎない、言わばネット政治の国家へと変わるのだ。さて、どうしたものか。民主主義の基礎は、選挙の公正さの基盤の上にある。その規則の遵守が乱される。選挙期間中、ネットを止めない限り、国際的な選挙干渉を防御出来ない。解決は困難を極める。ネットは無責任で、悪意的所業すら追及出来ない。大衆が、長期的思考過程を持ち、総合的な社会観の質を上げない限り、これを制御するのは困難だ。
 

政党の本質を忘れるな

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 8月 1日(火)06時18分54秒
   政党と政策集団とは違う。個々の議員の政策が異なるから、政党を出るという話が多く、説得する側の考え方もまた政党の本質とは異なることが多い。政策の相違がある度に離合集散が起る。だから政策集団は長く継続することはないが、政党は長期的で、個人は生涯変わらないような理念を持っていることが原点だ。
 ところが、最近では、政党離れが増え、個人議員の理念そのものの存在があやしい。選挙民の一般の人々が政党に属しないのは、必ずしも理念がない訳ではなく、煩わしいとか、政党の理念がしっかりしないなどあり、また多くは理念そのものを持つ習慣がないのが実態だ。選挙の度に、政党支持の票が大きく動くのは、必ずしも政党の理念を支持しているものではないからだ。その傾向は、最近次第に大きくなっているようだ。だが、国会議員で政党に所属するならば、その政党の理念はしっかりしていることが前提だ。これを欺いてはならない。国民が政党を信用するから、政党も入党者の審査は厳格であるべきだ。
 政党の理念の違いを分かり易く言えば、自民党と共産党の違いだ。この二党は、政策ではほぼ百パーセント同じになることはない。それは、根本的に自由と民主主義の考え方が、共産党の理念にはないからだ。しかし、相互に正反対の理念で、国政の現状は運営出来ないから、政策では適当に修正し、段階的、妥協的な政策となる。同じ政策合意でも、その裏の本質は異なっているから、政策の意味合いや位置づけは異なる。
 国家の将来の命運を左右する理念の相違は、この自民党と共産党くらいで、その他は殆ど政策集団であり、政治理念は一貫していない。党内の派閥などは、政策集団か利権集団だ。離党などの現象は、殆どは理念がないために、このような政策や利権で動いている。だから党を形成し、政策を一致させるためには、その根本に理念の一致がなければならない。それが政党の基本だ。
 戦後の日本には、社会主義という政党理念があった。しかし、この理念は国家の進展性を欠き、国際化の動きの中に取り残され衰退した。そのような国家がない訳ではないが、全体から見れば小さく特殊だ。日本の政治家の中にもまだ幾分残ってはいるが、今の日本社会の国際化の中では実現性はなく、リベラルという言葉で、限りなく政策集団化している。政策だけの集団は、ことある毎に右往左往しなければならなくて政党理念はない。
 国家の政治は、一旦政権を執ると、多くの政策を執行する。だから、選挙は、政治家の理念が大事なのだ。しかし、選挙自体は、たまたまその時点で起こった政策の可否で、それが争点となるので、政治の本筋を見失う。また、政治家も、本質に関わりない行動をする。古い政治家が、党を渡り歩き、選挙対策ばかりが身上で、マスコミに登場するのは馬鹿げている。有権者に大事なことは、争点となる政策が、日本国にとって、大きな問題なのか、そうではなく修正出来る些細な問題なのかを見抜くことが、国政を大事にする一歩だと思う。それはまさに、選挙は政治家の確たる理念を選ぶことだということだ。だから、政権を担うのは政党なのだ。ところが、地方議会の政党などは酷いもので、政策理念より選挙戦術が全てのような考えの政治家が多い。国政の選挙でも、選挙協力などと言って、結果的には選挙民が、全く理念の異なる政治家を選択させられることにもなっている。政権の基本は、政党理念だ。

 

人を観る目を持て 

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 7月30日(日)05時24分23秒
   最近の企業では、もう社内研修が行われないところが多いのかも知れない。私が若い頃は、会社では管理者教育があった。そこで教えられたことだが、管理者にとって最も大事なことは何かということだ。一言でいえば、それは「人を観る目を持つ」ということだった。一般の人々は、何だそんなことかと思われるかも知れない。しかし、私が実業界で見てきた経験によれば、この人を観る目がない指導者が如何に多いか実感している。そして、そのようなリーダーを持った企業などの集団は、殆ど失敗をしている。悪いことには、その失敗後でも、まだその認識が出来ず、担当者を責めることはあっても、特にその指導者の自覚はどこにもない。
 このような集団指導の理念は、政治などどんな集団にも共通だ。特に、上級管理者になればなるほど、付き合いが表面だけのものになるから、人が見えなくなる。それを、自分なりに、どう捉えるかの独特な工夫が必要となる。努力しても出来ないならともかく、殆どは自分の専門性さえ優れていれば、何でも出来ると過信してしまう。指導者たる素養はまさに欠陥だらけなのだ。
 若い政治家の中で驚くべきことは、担当の専門性だけが仕事で、それで事態がうまくゆかなくなっても、その原因の理解が出来なくて、人や組織から被害を受けた認識しかない者がいる。基本は自身の人間性の問題であることすら理解出来ない。管理指導者は、上にゆけば行くほど、仕事の専門性より、人の管理や判断、決断の能力の必要度合いが増してくる。誰がどういう意図で何をやっているかを即座に見通す必要がある。それを見極めた上で、大局的見地から適切な判断を下すことが出来なければならない。人を観る目が優れていれば、人事に失敗することはない。次世代の育成も自から豊富に展開出来、人材に事欠くことはない。自分の代わりが育たないのは、自分自身の能力不足を意味するものだ。素材はどこにでも転がっている。
 

憲法改正の失敗 

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 7月25日(火)05時41分15秒
編集済
   日本の将来にとって、何が悲劇かと言えば、最大のものは憲法改正に失敗することだ。日本人の多くの人々は、世界の中でも、日本が一番自由で、良い道徳、良い社会を実現していると思っている。そして、このような社会を、他国に期待している。だがそれは、一種の思い違いだ。
 本当は、米国の社会が自由民主主義であり、それを日本や韓国に実現させるために、特に日本にはその政策を強要した。その改革の過程なのだ。長い目を持たない人には分からないだろうが、それは今でも終わってはいない。その根幹にある政策の縛りが、日本国の占領下に発した今の日本国憲法だ。当然のことながら、そのような憲法であるが故に、長い日本国の成長過程で、至る所に齟齬を生じてしまったのだ。悪いことには、米国自体が、人種の偏見を制御出来ないままに、アジア人種などの野放図な輸入により、人口は維持できても、社会の崩壊が起こった。半世紀前の社会の優位さは失われた。加えて、節操のない自由主義陣営の経済開放により、自由により勝ち得た富は、独裁国家に奪われてゆく。世界は、独裁国家の社会へとなびき始めた。
 戦後七十年、日本国家の米国支配が終わろうとしている。日本の意思がどうあれ、韓国事情に決着が着けば、米国の日本支配は終る。つまり、日本の独自の政策による日本社会の維持継続は困難度を増す。憲法を改正しない限り、ひき続き他国に依存する体質は変えられない。米国が引けば、中国の共産主義社会は拡大する。日本にも、共産党を始め、中国のような共産主義に憧れる人々もいる。憲法に保守的であれば、今の体制を維持するという理念は、米国なき後の社会では、国家の独自性が許されないままに、共産主義への移行は免れない。だから、日本社会の根幹に関わる重要施策が憲法であり、憲法創作に失敗すれば、再び発展の機会はもう戻ってはこない。
 日本や韓国の繁栄に目を奪われている人は多い。しかし、歴史をよく見れば、韓国は米軍の支配下にあればこそ、国力は保たれてきた。この支えが無ければ、今の韓国はないに等しい。日本も同じようなものだ。戦後の社会は、北京に支配される社会を目指す政治家は多くいた。米国の強力なレッドパージにより世情が維持され、また占領下の今の憲法が制定された。自民党は、憲法改正は党の最初からの理念だというが、その言葉はお経のようなもので、米国支配を是認したための体面作り程度のものだ。如何に軍備が優れていても、その魂がないから防衛は虚弱で自ら守るという精神が乏しい。
 憲法改正の中味の議論で、政治家の間で相互に違いがある。これは、改正の失敗が許されないが故に、その内容の妥協の議論だ。しかし、この問題の本質は、全国民の理解の低さによる一種の妥協なのだ。だから、国民全員が、事態をよく見、考えなければならない。政治権力、汚職の問題や、官僚規律の問題を国家の一大事に思っている人々は多い。それは感情的に嫌なものだが、国家の道筋に関わる問題ではない。それより百倍も大きな次世代国家の存立に関わる問題の緊急性が迫っている。
 よく一般国民は分からないと言って責任逃れをする。これが最も良くない。分からないのは自分で努力をしないで、被害者を装う無責任の横行ではないか。私の憲法改正についての言及は、もう十年以上になるが、その主張は、独立した日本国家のあり方がその根本にある。米国のいない現実を想定した国家の理念が、取りも直さず日本国憲法の概念だ。成功させて欲しい。

 

核兵器を持つ 

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 7月23日(日)05時46分43秒
編集済
   核兵器のない世界にしたい。これは日本だけではなく、全世界の人々の大方の思いだ。だが、それは絵に描いた餅のようなもので、現実はその意に反して核兵器は増えてゆく。これからも益々加速して増えてゆく。核兵器を多量に持つ国が有力な国だという認識と特権は、もう半世紀も前からの常識であり、国連の組織そのものがそうなっているから、その特権が変わらない限り認識が変わることは今後もないだろう。現に核兵器を持てば、国が滅びるのではなく、滅ぼされることを免れる実例が続出する。
 核兵器を持つ国は、いわば優等生であり、劣等生ほど一人前になりたくて核を持ちたがる。将来は、どの国も通常兵器として核装備を行う時代がやってくる。軍備は際限なく拡大する。核軍縮の組織などはが機能することは、これまでもなかったが今後もない。更に細かく言えば、核兵器は何処の国でも、持ちたいと思えば持てるが、大量破壊が出来る国が核保有国の認定になるから、どの国も核保有の認定国になりたいという憧れを持つのだ。このようないわゆる小国が、世界に増殖する時代がくる。
 さて、日本の場合だが、米国が日本を守るというのは幻想となり、ロシア、中国に加え朝鮮という核兵器保有国がすぐ近くに存在する。周りは全て核兵器だ。外国駐留の米軍の核被害が現実化するので、米軍が撤退した後の韓国は、事実上北朝鮮と協調し中国に従属する。名実共に核保有国だ。韓国駐留の米軍は、これまでにも撤退する機会はあったが、韓国軍事情が整わないので駐留が続行されていた。しかし、それも終りとなる。
 朝鮮は北の軍備が南の経済に支えられる統合国家になる。軍隊は装備と魂であるが、これが充実する。朝鮮の民意は本質的に親日ではない。米国主導の戦後だったから、その過程で日本との関係が深まったが、それも本来の親中国へ戻る。日本に対する様々な障害も事実上増大し、日本に対し精神的優位が歴史的な悲願だ。朝鮮からの日本への様々な要求は日常化する。特に、北朝鮮がこれまでに舐めた苦労は、全部日本国家の責任と言って、その代償を求めてくる。日本の常識は役立たず、世界的規模の教宣戦略が行われる。そのための朝鮮の武器の使用や交渉は、かつての戦前、戦中の日本国軍のやり方と同じだ。日本国家の威厳は、著しく損なわれる。
 少し話題を変えれば、香港、台湾、韓国は中国に対しては同床だ。ベトナムなどの周辺でも同じ歴史を踏んでいる。次元は異なるが、EUから離脱した海洋国の英国の地政も、日本に通じるところがあり、世界戦略として注視すべきだ。
 日本国の世論も大きく変わる。米国が、日本に駐在して民主主義を守るという旧概念は無くなる。米国大統領が言っているように、日本も核装備をすることになる。朝鮮の有事の消滅と同時に、米軍の日本駐在の必然性も消滅する。日本独自の自由民主主義国家としての国体の防衛は、米国軍の撤退時期が核装備の時期になる。ミサイルの配備や空母の配置も、米軍のこれまでの規模をそのまま持つことになる。これでやっと日本の戦後体制が終了し、戦前と同じ国家に復帰する。日本がこれまでに経験したことない国家群の勢力バランスがここに生じる。
 中国は勿論強大だが、朝鮮という国家の振る舞いは、地域の不安定を増幅する。これが極めて難問なのだ。それは、今後の中国政府の政治のあり方と、日本の対応が鍵になる。朝鮮は歴史的に常に中国の配下にある。日本は、核軍備を持たなければ、中国共産主義に従属し、世界で影響力のない無意味な存在になる。言わば、核傘下の構図に変化が起る。日本の核アレルギーは終末を迎え、世界での唯一の核被爆国という汚名は遠退き、核軍備を持つ有力な普通の国家となる。朝鮮を含む中国大陸、ロシアとの社会思想の対決は、同時に核軍備対決にもなる。
 いやな思考だが、現実は想像よりも厳しい。理屈に合わない現実をよく見れば、人間の社会の進歩は、右肩上がりだけではなく、大きな下がりの悲劇もあるということだ。

 

米軍撤退は現実

 投稿者:片山正昭  投稿日:2017年 7月20日(木)06時01分21秒
   誰もが、米軍駐在の政治や社会の現状が当面続くと思っている。当面というのは、いつ頃かと聞かれると、殆ど答えられず戸惑う。十年二十年先と思っても、その根拠も保証もない。政治が意思決定をすれば、米軍は三年もあれば撤退は可能だ。そこで大慌てになり日本国家の体制は崩れる。だから、期限を想定した周到な計画が必要だ。米国は、既に世界から離れ独自の道をゆく。
 世界的に見て、日本は有数な実力を持つ国家だ。その国家が、未だに国内に治外法権の軍隊が存在するというのは、極めて異常な状態なのだ。強いて理由をつければ、近くに平和条約を結べない国家があるということで、その解決を自主的にやれていないことだ。更に、その問題は緊急性がないと、己に言い聞かせながら、問題を先送りしているのが現状の日本国民なのだ。
 政治家は、身の周りのことばかりを国民に訴えて、国家の本質的、長期的基礎を語ろうとしない。語らないから、その問題の重要性や緊急性が国民には理解出来ない。政治家の質が落ちたというのは、答弁や立場の常識が狂っているだけの問題ではない。政治の大局観を身につけていないことが問題ではないか。そして、マスコミ界も目先の話題ばかりに終始し、日本の世代の重要問題は金にならないという。
 米軍は、いつ撤退しても何の不思議もなく、ごく当たり前の事だということを認識すべきだ。朝鮮半島事情は、もう既に米国の干渉を期待する時期ではなくなっている。何故なら、中国は南北両方の国に関係を強め、影響力を行使出来るからだ。日本としての米国との同盟を否定しているのではない。韓国の情勢は、もはや米軍が日本に駐留する必要性がない事態へと動いている。日本国としての意思が薄弱なのが問題だ。事態の動きや変化がある時、全ての物事はそこから始まる。この原点に立てない古い政治家は、引退の時期ではないか。
 

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